私たちのような手技療法の事を「整体」と言う事があります。
「整体」は整体院や施術所等で行われる手技全般を指すことが多いようです。
しかし、実際のところ整体って何かと言われるとわからないですよね。
私も現在の「整体」は分らないです。
そこで、今回は日本における整体の歴史に触れていきたいと思います。
街に溢れる整体の看板、どれも違う方法で施術しており統一されていません。
ではそもそも「整体」という言葉を広く使われるようになったのはいつからでしょうか?
それは戦後のことのようです。
戦前に「療術」と呼ばれていた各種の民間療法の大家が集まって、日本に於ける療術を体系化する試みが行われました。
「整体操法制定委員会」です。※委員会の発足は昭和18年12月、19年の7月まで毎夜の議論が重ねられました。戦中のことです。当時の療術家の熱意が窺われます。
この整体操法制定後から「整体」という言葉が一般的な名称になりました。
それ以前は、療術の一派で○○式整体術という固有名詞として用いることはありましたが、
現在のように広く認知され使われるようになったのは整体操法制定委員会の発足後です。
(※初めて整体を名乗ったのはオステオパシーを輸入した山田信一氏であるようです。
輸入当初はオステオパシーではなく、山田式整体術を名乗っていました)
さて、整体操法制定委員会のメンバーにはどんな人がいたかと言いますと、
・戦前に生れた流派で大家として名を馳せた療術家
・アメリカから伝わった手技療法の療術家
・日本古来の民間療法の伝承者
等です。
この中でも米国発祥のカイロプラクティック、オステオパシーといった脊椎を手掛かりにして体を調整する療法が理論の中心となっていったようです。
他の療術も非常に効果が高かったのですが、統一の見解とするには個性が強すぎたようです。
しかし、日本の療術が捨てられたわけではなく、効果が高い方法をみんなで検証し、カイロプラクティック等とはまた違った体系を築くことになります。
また、あまりにも独特な方法で効果が高いものは「特殊操法」という形で残しました。
とりわけ有名なのは、アソカ療法・野中豪策氏による恥骨操法「皮膚病一切奇妙」でしょうか。
恥骨の角、又は恥骨結合部に生じた急処を押さえるだけで、あらゆる皮膚病が治るという文字通り「特殊操法」です。
このように、現在は何が何だか分からなくなっている「整体」と呼ばれるものにも統一の体系を築こうとした歴史がありました。
これが一応の「整体」の始まりです。
私はこの時代の野性味あふれる個性的な療術家が好きです。
怪しい人も相当いたようですが。
最後までお読みいただき有難うございました。
次回は「野口晴哉」です。乞うご期待!
参考文献:『野口晴哉著作全集 第3巻』(全生社刊)