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「命とはどういうものか」

 

仕事が療術業なので、生理学や解剖学等の勉強をします。

そうすると、新しい情報や学説が出てきます。

こうした学説の変遷も大変に興味深いものです。

今では神経は電気的な信号として情報や指令を伝達するということがわかっていますが、昔はガスによって筋肉が動くと考えられていた時代もありました。

体の具体的な働きの正体がわかってきたのは最近のことで、それまでに沢山の研究や議論が重ねられてきました。

こうしたことは西洋医学の功績でしょう。

 

一方、命とは何かという哲学的な問題については、東洋に分があるようです。

東洋の生命観では、命は開始と終息ではなく、凝集と発散であるという見方があります。

チベット医学、インドのアーユルヴェーダ、中医学と、異なる時代の広い地域で見受けられます。

また医学ではありませんが、中国の老荘思想にもそうした見方があるようです。

「薪は燃え尽きても火は伝わって無くなることはない」と『荘子』にあります。

命もそういうものです。

物質的な側面から見ても、生物の体は新陳代謝を繰り返し、かつて我々を構成していた物質は体を去って別のところで何か違う物になっています。

凝集と発散、また連綿と受け継がれ続いてきたものが命であると言えます。

生まれる前からあり、死んで終わるものではないようです。

 

自分がまだなかった過去、いなくなった未来のことも考えていきたいものです。

今だけ、自分だけという短絡的な生き方は簡単に自暴自棄になり、他者を蔑ろにもします。

そうしたことは健康に悪いです。

療術業の立場からは、健康を害するものを悪とします。

こうした哲学的なことは健康に資するので、ふとした時に思い出してより良い生活を営んでいただけたら幸いです。

 

皆様のご健康とご多幸を願います。

 

 

さとう接骨治療

 

 

写真:macayran