ボディワーク等で心と身体の関係について触れることがあります。
身体から心理的な問題をケアをするということです。
特定の技法に限らず、確かに身体からのアプローチは心理的な問題にも良い影響はあります。
しかし、病床にある人は心理的な問題を抱えているのかというと必ずしもそうではありません。
病の中にあっても人格優れ、思いやりのある方は大勢います。
これはどういう事でしょうか。
身体から心理的問題にアプローチ出来るというなら、身体的な問題を抱えている方は心理的にも難しくないと辻褄が合わないのではないでしょうか。
精神と身体は一つであり互いに強く影響するものの異なる側面であるというのが私の考えです。
身体に不調があっても精神は強くあれます。
逆に、身体的には強くとも人格に問題のある人はいます。
そこで整体の野口晴哉の言葉が思い出されます。
「体育なるものは、全身機関の有する総ての能力を発揮せしめ、これを涵養増進せしめると同時に、精神の修養鍛錬を兼ねる積極的の意味を有するものであらねばならぬ」(野口晴哉「全生論」より)
「全身機関の有する総ての能力を発揮せしめ」とは、筋力等のスポーツ的な運動能力だけでなく人間の生命活動の全てという意味です。呼吸も、消化吸収同化も、免疫も、その他にも、私たちに与えられた生物的な能力全般を指しています。
その意味において、病も怪我も体育になり得ます。なぜなら、体の不具合に際しては治癒力が発揚されます。また、不調の中で精神を鍛えられることもあります。
健康とは病や怪我を避けることではありません。病にあっても健やかさを発揮できることであります。
私の治療室に来られる方には難しい不調を抱えている方もいらっしゃいます。
一人や二人ではなくそれなりの割合になりますが、うちに来られる方に限って言えば気難しい方がいません。
これは驚くべきことです。
仮に自分が難しい不調を抱えて生活していて、あのような思いやりを持てるだろうかと考えると厳しいものがあります。
不調を抱えていても身心の健やかさを保ち、成熟した人になり得るし、不調が人格を深める機会とすることも出来てしまうのです。
そんなことを患者さんから学んでいます。
治療室で私は「先生」と呼ばれますが、実は患者さんクライアントさんが人生の師という事になります。
身体の不調があると生活に不都合が生じますので、私は施術で皆さんのお役に立てるよう励んで参ります。
人格的にはまだまだ至らぬ点はありますが、お役に立てることはあります。
どしどしご用命ください。
皆様のご健康とご多幸を願います。
さとう接骨治療室