書と体、技術の体(2)

 中国武術の稽古法に「馬歩」というのがあります。馬に乗った形で立つ稽古です。

空気椅子ならぬ、空気乗馬のような感じですが筋肉を鍛えるのが目的ではありません。

身体観の稽古です。身体観の稽古と言っても何のことやら?ですよね。

 

 何でも技術というのはコツがあります。 

馬に乗れる人にとって馬歩の稽古は乗馬しているような感じで立つという事になります。

その感じが武術の稽古に大事な訓練でした。

こういう人たちは乗馬のコツをすでに掴んでいますので、乗馬の感じが拳法に生きたようです。

 

 他方、我々馬に乗れない現代日本人は馬に乗れるような足腰の感じを稽古するという事になります。

筋肉の力では馬を御することは出来ません。パワーが違います。

筋力を使わない別の運動原理、筋力に頼らずに馬も制御できた身体、すごく分かりやすく言うと「コツ」でしょうか。

それが先人の「古の身体」でした。

 身体観の稽古は、その「古の身体」に近づくように稽古するのが目的です。

武術や技芸に伝わる一見不合理な「型」は、

先人の獲得した身体観を稽古するためにあると思われます。

 

 馬歩は体に気持ちを集注するのはきついですが、筋トレでない足腰の稽古としておススメです。

騎馬民族の手による北魏楷書の稽古としても良いのではないかと思います。

 私が試した感じでは、とてもいいです。

 

 書に限らず、時代を遡って身体観を深めたり、鍛えたりする事が専門分野の技術深化に繋がるのではないかと思っています。

ステオパシーを学ぶ手技療法家は偉大な創始者、A.T.スティル医師の技術に大変な関心があります。

スティル先生は、まるで奇跡のような治療成果を当たり前のこととしていたそうです。

 

 A.T.スティル医師はアメリカ南北戦争時代の人です。馬には乗れたでしょう。

さらに開拓民の子として、農耕や簡単な狩猟もできたようです。

農耕といっても、トラクターの無い時代です。農耕牛馬とともに作業していたでしょう。

我々に比べるとだいぶ体が強かったことが窺われます。

オステオパシーに限らず、様々な技術・芸術も体の強さの面から技術を見直すことが有効かもしれません。

 

 基礎訓練というと「基礎的な身体の使い方」になる事がありますが、

自分という体でもって「技を振るう」という面から考えることも無駄ではありません。

体が基礎にあっての技や術ではないかなと思うからです。

 

 技術の前に、体の基礎を探求するのも面白いと思います。

私は先述の「馬歩」や、正座する習慣もいいと思ってやっています。

 

 

 

関心のある方にお勧め書籍(今回の参考にした本です。amazonのリンク貼ってあります)

『退歩のススメ  失われた身体観を取り戻す』(藤田一照、光岡英稔 著/晶文社刊)

『身体の聲 武術から知る古の記憶』(光岡英稔 著/PHP研究所刊)