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「整体って何?② 野口晴哉」

 整体って何?二回目は野口整体、社団法人整体協会の創始者であり、整体操法制定委員会の中心人物でもあった野口晴哉氏についてです。

野口晴哉氏については『風邪の効用』という本が各所で紹介された時期があり、御存じの方も多いかと思います。

また、整体を語る上では欠かせない人物ですので、同業者の皆さんには私よりも詳しい方もおられるかと思います。

 

 さて、野口晴哉氏に話を戻します。

野口晴哉氏は明治44年東京に生まれ、昭和51年に亡くなります。

小学校の頃から、メスメルの催眠術などに興味を持つ早熟な子供時代だったようです。

このメスメルから学んだ事をもとに手かざし療法をすることになります。

きっかけは12歳、小学6年生の夏休み明けのことでした。関東大震災が起ります。

焼け跡にバラック小屋が建ち、下痢患者が続出します。下痢と言っても、死者も出るような深刻なものです。

そんな中で知り合いの煮豆屋のおばさんが下痢で苦しんでいたのを見かねて手を当てます。

するとすぐに治ってしまい、それが評判になって療術を始めました。

この時におこなった療術はメスメルの動物磁気(アニマルマグネチズム)を参考にしたようです。

 

 その後、療術の大家で人体ラヂウム学会の松本道別氏のもとに出入りするようになりました。

非常に優秀だったため、別格弟子として扱われ、10代の少年が並み居る大家を圧倒する大活躍だったそうです。

凄いですね…。しかし、痛快。小説のようですが本当の話です。

 

 16歳の時、「自然健康保持会」を立ち上げ、東京の入谷に道場を開きます。16歳、まさに天才少年ですね。

瞬く間に評判を呼び、療を求める人が多数訪れ華やかに栄えました。

その頃の野口氏の療法は、前述の松本道別氏による「人体放射能」という考えに触れ、より洗練されていましたが、やはり手かざしに近いものだったようです。

 

 また、道場の外でも療術界の中心人物として活躍します。

前回の記事で紹介した「整体操法制定委員会」の委員長として、一人一流派、百花繚乱の療術をまとめあげ療術の標準型を制定することに尽力しました。

しかし、一旦はまとまった療術界も治療に対する考えの違いから、それぞれ違う道をすすんで行くことになりました。

(ここら辺から、整体が現在のような体系のよく分らないものになっていったようです)

 

 その後、野口氏は整体協会をつくり、整体操法、体癖研究など独自の道を探求していきます。

これがいわゆる「野口整体」です。

 

「整体」と一口に言っても、玉石混交です。よいものもあれば、あやしいものもあります。

整体に限らず療法は上手いか、否かということがだいぶ効果を左右します。

整体でもカイロプラクティックでもはたまた医師による医療でも上手い人ならよく治ります。

私も日々精進です!

 

最後までお読みいただき有難うございました。

次回、整体って何?野口法の哲学についてです。

 

参考文献:『野口晴哉著作全集 第三巻』(全生社刊)

     『表の体育 裏の体育』(甲野善紀著/PHP文庫)

     『朴歯の下駄』(野口昭子著/全生社刊)